異邦奇譚

著:カナイ

 ……ねぇ、知ってる? 最近この辺りで宇宙人が出たんだってさ。
 噂好きの女子の口には、有象無象がまことしやかに流れている。

<異邦奇譚>

 とんてんかん、と工事の音が開け放した窓から聞こえる。
 都市の再開発、そんな名目でどんどん形を変える街。無機質な箱が空へ向かって伸びていく。
「そういえば」
 『彼女』が声を掛けてきたのは、そんなことを考えながら教室の窓の向こう、工事中の養生シートをぼんやり眺めていた時だった。
 今日中に提出すべき課題を放課後まで持て余す僕とは違い、疾うに終えてしまった『彼女』は読んでいた文庫本をぱたりと閉じる。
「最近、この辺りで黒いスーツの人達が目撃されてるらしくて」
「なにそれ、ヤクザ?」
「違う違う。知らない? メン・イン・ブラック」
「えーっと……なんだっけ、映画?」
「映画の元ネタの方。宇宙人やUFOの目撃者に、他言しないようにって言いにくる男達の話」
「嘘でしょ……普通に営業マンなんじゃないの」
 そう返せば、同じ部活の『彼女』はさて、と笑ってみせた。
 先輩が春に卒業し、新入生は二年連続で入ってこなかった。
 部から同好会に変わった文芸部――慣れとは恐ろしいもので、部活ではなくなってもそう呼んでしまう――の貴重な部員。
 博識な『彼女』は、時折こうやって都市伝説の類を口にする。
 それは日本のものだけではなく、海外のものも多く含まれ、僕はただただ『彼女』の知識に感心するばかりだ。
 ……その思考回路は早すぎて突拍子がないように見えることもあり、他の生徒からは『宇宙人』『変人』と呼ばれているけれども。
「――因幡の白兎って知っているかい?」
 とんてんかん、と暑くなりはじめた風が窓から吹き込む。
 芽吹き始めた緑の匂い。日差しは強いけど、真夏ほどではない。
 そんな風と一緒に耳に届いた問いかけを、咀嚼するのに一拍。
「あの、ウサギがワニに襲われた奴?」
「そうそう。皮を剥がれて丸裸にされてしまった奴。その後に嫁取り譚があるんだけど、まぁそれは置いておいて」
 言葉に合わせて、『彼女』は文庫本を机の上に置いた。
 何かを企むような笑顔で、顔の前で指を組む。
 あぁいつものスイッチが入ったのかと、僕も自然とシャーペンを置いていた。
「ウイルタの御伽噺がとても似ていてね」
「ウイルタ?」
「樺太中部以北に住んでいた民族だよ。キツネに関する御伽噺さ」
 満面の笑みでそう言って、『彼女』は朗ーと語り出す。

 鳥によって離島に攫われたキツネは、元の地に帰りたくて泣いていた。
 そこに一匹のアザラシが現れて、キツネに何故泣いているかを問うた。
 キツネは泣いていない、これは歌っているのだと答え、アザラシに仲間は沢山いるのかと訊ねた。
 アザラシは沢山いると返し、同じことをキツネに聞いた。
 キツネは沢山いると言い、アザラシに仲間を連れてくるように言った。
 アザラシが水に潜って仲間を連れてくる間に、キツネは砂浜に足跡をつけ、仲間が沢山いるように見せかけた。
 そうしてアザラシに、数を数えるからと言って一列に並ばせ、元の地に帰って行った。

「――鳥がアオサギだったり、キツネが自分の行動の報いで離島に運ばれたり、騙されたことを知った青鷺が、キツネが罠にかかることを予言したりとバリエーションはあるが、物語の根幹は変わらないんだ」
「根幹?」
「『小動物』が『離れた地に行く』ために『他の動物を利用する』」
 相変わらずの中性的な口調で紡いで、『彼女』は小首を傾げて見せた。
 その拍子に、僕達の年代では珍しく、一度も色を抜いていない黒く髪がさらりと揺れる。
 磁器のような白い肌も相俟って近寄りがたいという人もいるけど、そんなことは無いと思う。
 ……うん、多分。多少、突拍子もないところはあるけれど。
 逸れていく思考を頭を振って戻し、ええと、と僕は言葉を探す。
「なんだっけ、そういう……気候が似てるところは神話とかも似ていくアレ」
「神話類型?」
「そう。そういう奴?」
「そういう見方も出来るね。ただ、今回は近すぎるからなぁ」
「近い? だって因幡の白兎は……どっちだっけ、古事記? 日本書記?」
「これは『先代旧事本紀』」
「……いつも思うんだけど、大学そっち方面の方がいいんじゃないの? 社会学だっけ、そういう、民俗学は」
「うーん……どうせ大学に行くなら、知らないことを学びたいじゃないか」
 投げた言葉に、『彼女』はくすくす笑った。
 読書家であることは知っているものの、『彼女』の知識量はどうなっているんだろうとこういう時に思う。
 それでいて僕と同じ理系志望なのだから、頭の良い人とはそうなのだろう。
「宇宙の向こうはまだ知らない?」
「分からないことの方が多いね」
「……おねーさんでも知らないことがあるの、僕は今ちょっと安心したよ」
「君の中で私はどういう位置付けなのかな?」
 くつくつ、愉快そうに『彼女』は喉を鳴らした。
 綺麗なそれを眺めること数秒、そのことを自覚して体温が上がる。
 きっと赤くなっているであろう顔を隠すために、窓の向こうを眺めた。
 影が強くなった初夏の午後。とんてんかんと、空を侵す音が聞こえてくる。
「話が逸れたけど……その時期って文化の中心が九州とかでしょ、北海道の更に北からだと伝わるのに難がない?」
「そうでもないさ。因幡の白兎、いきなり『ワニ』が出てくるだろう? でも、日本にワニはいない」
「あれって鮫のことじゃないの?」
「そういう説もあるし――この話は本州に伝わる前に、アイヌに伝わったんじゃないかという説もある」
 いきなり出てきた名前に思わず呆気に取られれば、鈴が転がるように『彼女』は笑った。
 ルート的には丁度だろう、と宙をなぞるが、それにしたって遠すぎるように思えた。
 考え込む僕を他所に、アイヌでは、と『彼女』は言う。
「シャチをイソヤンケカムイ、ウサギをイソポと呼ぶ。ここで語呂合わせが見られるので、口伝として韻を踏んだのではないか、とね」
「……へぇ」
 思わず漏れた感嘆の声に、『彼女』は益ー笑みを深めた。
 組んでいた指が離れて、くるくると翻る。興が乗ってきた時の『彼女』の癖だ。
「類似はインドネシアにもある。そちらはウサギではなくコジカだけども」
「そっちは、口伝が伝わるにしては遠いんじゃないかな」
「そうかな」
 『彼女』は首を傾げる。やや下から僕の目を真っ直ぐに見つめる野干玉の瞳は吸い込まれそうだ。
 口紅を塗ってないのに赤い唇が、にぃ、と三日月を形作る。
「――もっと前に、同じモノを見ていたら?」
「……え」
「そういうものを見た人達が、インドネシアから中国、そうして日本と満州北部からの樺太に移動したとしたら――十分、形の似た伝承が生まれると思わないかい?」
 くすくす、くすくす。
 心底楽しそうに『彼女』は言って、また指を組んだ。
 その上にこてんと整った顔を乗せて、笑う。
「――と、まぁ。大胆な仮説を立ててみた訳なんだが」
「……仮説なの。見てきたように語るから、そうなんだと思ったじゃん……」
「証拠がないからね。でも面白かったろう?」
 『おはなし』としては十分だろう。そう言って喉を震わせた『彼女』が、不意に視線を落とす。
 追いかければ、それはどうやら僕の手元――先程から全く進んでいないプリントに落ちていた。
 沈黙は、数秒。
「問三、積分範囲は零から三じゃないのかい」
「そうだけど……うっわ、代入ミスってる……!」
「今気付いて良かったじゃないか」
 『彼女』が座り直す。しゃらりと鳴ったのは、長い、絹糸のような夜色の髪。
 間違えた解答を消して、途中からまた計算をし直す。
 プリントの上をシャープペンシルが走る音と、窓の向こうから聞こえる工事の音。
 そんなものだけが、暫く二人しかいない放課後の教室に響き渡った。
「でも」
 思わず零れた声に、うん、と『彼女』が相槌を返す。鈴のようでいて、朗ーとした声。
 視線はプリントに向けたまま、僕は浮かんだ疑問を口にする。
「同じものを見たとしたら――彼等は一体、何を見たんだろうね」
 そうだねぇ、と普段と同じような言葉が返るものとばかり思っていた。
 けれども予想に反して、鼓膜を叩いたのは沈黙。

 顔を上げれば――見たことのない形を浮かべて、『彼女』は笑っていた。

「……さっき私が言ったことを覚えているかな?」
 唇が吊りあがる。愉快そうに愉快そうに、『彼女』は笑う。
 ぞっとするほど綺麗な、それでいて全身が警鐘を鳴らす笑みで。
 脳裏に浮かんだのは三つの言葉。
「……『小動物』が『離れた地に行く』ために『他の動物を利用する』?」
「そう。帰る為に他のイキモノを使う。似ている昔話があるということは、きっと彼等は同じものを見た。さて――今、人はどこに出て行こうとしている?」
 そう言った『彼女』に、数秒、心臓が止まった気がした。
 息を吸い込んで、吐き出す。『彼女』の笑みは変わらない。
「……それは結局、最初に言ったメン・イン・ブラックの話に戻るってことでいいの」
「なんだ、分かったのか」
「どれだけの付き合いだと思ってるのさ」
 意図的に肩を竦めれば、先程とは形を変えた笑い声が返る。
 背筋を冷やした音が混じっていない、楽しげな笑い方。
 そのことにどうしてか僕は安堵して、深い溜息が零れていた。
「今回は結構、上手く作れたと思ったんだけど」
「宇宙開発より小説家の方が向いているかもよ――宇宙人が、宇宙に帰る為に人間を使う、なんてさ」
 最後の解答と名前をプリントに書き込みながら言えば、目の端で『彼女』が満足そうに笑うのが見えた。
「宇宙人、だなんて呼ばれる私には丁度いいだろう」
「そんなことないよ」
 ややおざなりに投げた答えだったけど、その顔が見れたのは少し嬉しい。
 緩みそうになった頬を噛んで、代わりにもう一度シャープペンシルを置く。
「終わった……お待たせしました」
「いやなに、部室に言っても私一人だからね」
「部室でやった方が良かったかな」
「部室だと無理だろう。君は本を読む」
 全く容赦の無い回答に言葉に詰まれば、心底楽しそうに『彼女』は声を上げた。
 その顔は年相応で、先程の息を呑む妖しさはない。
 こうしていればいいのに、と思うものの、この顔を見れるのが僕だけかと思うと、僅かばかりの優越感を覚える。
 嗚呼全く厄介なものだ、と自嘲は腹の中に留めて道具を鞄の中へ。
 椅子を引いて立ち上がる頃には、『彼女』はもう教室の外へと出てしまっていた。
 その背中を追いかけようとして――とんてんかん、という工事の音と、『彼女』が言った仮説が背を引いた気がして振り返る。
 他の同級生が帰ってしまった教室。光の強さもあってできる影は濃い。
 とんてんかん、とんてんかん。空へ、宇宙へ向かって伸びる黒い影。
 それが『彼女』の言った『道』のように思えて、息を飲んだのは一瞬。
 嗚呼、本当に話が上手いなぁ。
 感心しながら肩を竦めて、僕は廊下を職員室へと向かった。
 
 
 
 
 ……ねぇ、知ってる? あのビルってさ、宇宙人が宇宙に帰る為に作っているらしいよ
 
 そんな噂が聞こえてくるようになったのは、それから数週間の後。

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