イマジナリ―ブラザー

著:砠 新樹

 イマジナリ―ブラザー(架空の兄)は実在する。およそすべての人の心に踏み入ることができる──。人は言う。しかし私はついぞ彼に出会ったことがない。彼が現れたと教えてもらって、さまざまな土地や人を尋ねたが、そんな私を見て笑うかのように、架空の兄は現れない。十年ちかくそうして諸国を旅し、両親が病に倒れたと報せを受けて故郷に帰ってからは、いつしか自然と彼のことを忘れていた。
 絵空事に夢中になっている間、私は本当の兄のことを忘れることができていた。でも、現実にふと立ち返った時、ここに立っている──正確には立てていない、脚がないのだから──幼い兄の姿を、いやでも思い出さねばならないのだ。
 私はN県南部のりんご農家の次男坊だ。兄は亡くなった時と同じ姿で木箱に乗り、どういう理屈なのか無い脚でぴょんぴょん跳ねて私と目を合わせようとする。
「なにやってんだよ、兄貴」
 しかたなく話しかける。
「おまえと話がしたくてさ。久しぶりだろ? 寂しかったよ」
 兄は言う。私は、どうして架空の兄を追い求めていたのか、自分でも忘れかけていた理由を思い出していた。成仏できずに居る兄の代わりになってもらい、本当の兄を安心させてやりたかったのだ。はやく天国にいかせてやりたかった。
 しかし、私は出奔することでかえって兄を心配させ、未練を募らさせていただけのようだった。私は兄にりんごをひとつあげた。赤いほっぺの兄にそっくりなやつを。
「なあ、兄ちゃん。俺、兄ちゃんの代わりになれる架空の兄を探してたんだ。ほら、昔よく絵本で読んだだろ。ずっと作り話だと思ってたけど、たくさんの人に話を聞いて、本当に居るらしいってことが分かった。この家が嫌になったわけじゃないよ。死んだ兄ちゃんが出てきて怖くなったわけでもない。でも、そんなことをしてる間に、兄ちゃんとたくさん遊べばよかったな。ごめん──」
 そこまで告げた時、りんごが地面に転がった。小さな歯型がついていて、ふと見上げると、青い幽霊みたいな男の影が、やさしく笑って私を見ていた。──イマジナリ―ブラザー。
“伝えておくよ、おまえの兄に” そう言って影はすぐに消えた、幻のようだった。告げられた最後の言葉は私の脳裏でいつまでも繰り返されていた。その後、幼い兄の姿を、家の中でも農園でも道端でも、もう見かけることはない。

この作品は一次創作『Imaginary Brother & Man Machine』の番外編です。本編はこちら

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