朽ちた館にて

著:雪村月路

 彼の愛馬は、神馬の血を引いており、疲れを知らず、夜目も利く。
 暮れた空には月が明るく、行く道を照らしてくれている。
 それで、彼は休む場所を探しながら、道なりに馬を歩ませていた。
 しばらく行って、古びた屋敷を見つけた。ひどく荒れ、住人はなさそうだ。
 一晩休めるようなら、屋根を借りることにしよう。
 彼は、馬を降りて門につなぎ、中に入った。

 不思議な花の香がする。
 蜘蛛の巣を払いながら進み、ドアを開けて入った部屋では、破れた窓から差し込む月光に、天蓋付きの寝台が浮かび上がっていた。
 なにげなく近寄って、息をのんだ。寝台には、美しい姫君がひとり、薄い衣を身にまとった姿で寝息を立てていた。透けて見える、豊かな胸、くびれた腰、すらりと伸びた足……。
 なまめかしい半裸の女性を見て、ドキリとしないわけがなかった。だが、何かが彼に危険を告げていた。そして、彼は自身の直感に、今まで裏切られたことがなかった!

 迷わず、きびすを返した。背後から、目を覚ましたのか、甘い声が追ってきたが、かまわずに玄関を抜け、馬をほどいて飛び乗った。
「待って、愛しい人。あなたを待っていたのよ。行かないで……」
 声とともに、細く長く白い、女の腕のようなものが、にゅるにゅると追って来るように感じられたが、
「ああ、いまいましや。神馬の血族を操るか……」
 馬を駆るうち、声は背後に遠くなり、やがて聞こえなくなった。

 明け方頃、小さな町に着いた。
 朝になって、食べものを調達しながら、それとなく話を聞いてみた。
 あの打ち捨てられた屋敷には、時折、人の血を吸う姫君が現れるため、今は誰も近寄らないのだという。
 首を落としておいたほうが良かったのだろうか。そう思いかけて、すぐに気が変わった。
 つまり、あの姫君と彼とは、そういう巡りあわせではなかった、それだけのことだ。あるいは誰か運命に選ばれた者が、呪われた姫君を救い出さないとも限らないだろう。
 姫君のことを考えるのをやめて、旅を続けることにしよう。
 あの姫君が待っているのは、姫君としては残念かもしれないが、彼ではないのだから。

(完)

※「遥かな国の冒険譚」シリーズより、フルート王子のエピソード。シリーズの他のお話は、pixivでお読みいただけます。https://www.pixiv.net/series.php?id=826305

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